機能性ディスペプシアのための食日記2(おやつがやめられない)
↑機能性ディスペプシアを食事で治すと誓った最初の1週間の食事を紹介しました。
紹介しても全く意味ないし参考にもならなかったと思います。
まさに栄養の知識ゼロからのスタートでした。
ありのままを知っていただきたく敢えてアップさせていただきました。
さて今回の食日記2では少しづつですが、
たんぱく質の摂取を心がけているのが伺える日記になっています。
ありのままの食日記を今回も最後まで御覧いただけたらと思います。
8月13日、14日
寝起きから膨満感だとほとんど食べれません。水分もできれば飲みたくない。
しかし8月と言うこともあり、水分不足は良くないと頑張って水分を摂る。
午前中は体がだるく、食欲は無し。
母が色々と作ってくれたから気持ち程度食べる感じ。
ですが、夜になって体調が気分が良くなると、
なんとハモの梅肉添えが食べれました!
しかも何口も食べれました。
食後に吐き気も無い。
食後に気分が悪くなることを恐れながら食事を摂っていた時期。
食後の吐き気も無くて気分よく過ごせました。
14日の食事はご覧のとおり、夜以外ほぼ糖質オンリーの食事です。
おやつまで食べています。
砂糖たっぷりのおやつがないとやっていけない日々でした。
毎年花火大会が盛大に行われるのですが、花火の音も胃に重たく響いて
どこか静かな場所に逃げたくなるような夜でした。
8月15、16日
8月15日は絶不調。
夜中に何度も起きたせいもあって朝から全く食べれない。
バナナは好きじゃないけどなぜかバナナなら食べれたので頑張って食べた。
お昼ご飯の鮭も油っぽくて受け付けないが無理して食べた。
夜は主人が鶏むねと蒸し野菜を作ってくれた。
ポン酢で食べるのが美味しく感じた。
フランスパンをなぜか良く食べている。
そしてなぜか半身浴をしている。
しかし半身浴をした後、さらに気分が悪くなる。
とにかく体に良さそうな事はなんでもしようという焦りが伺える。
たんぱく質が全く食べれていないのに、鉄剤やナイアシン、ビタミン剤などをスタートしてしまっているのも×。
今思うとたんぱく質がしっかり摂取できるようになるまで焦らず飲まなければよかったと反省。
この頃は高級なオーソモレキュラー療法のクリニックで購入したサプリメントを服用していました。
高いけど仕方ない。
毎月5万円の出費!
この金額では破産!
良くなるものもストレスで悪くなりますよね。
8月17日、18日
この頃は肉より魚の方が食べれてたみたいです。
鮭、太刀魚、鯛は食べれたけど、
青魚は匂いだけで吐いていました。
それはいまでもあまり変わっておらず、
鯖は1年経った今でも手を付けられずにいます。
カツオもそう言えば食べれないな。
体調を悪くしだした頃にカツオを食べてアレルギーのような、急激な吐き気に襲われて…。救急病院へ運ばれたことがありました。
しかしアニサキスでは無くて、自分の体の問題だったようで。
子育て中に夕食後に食中毒になるのは本当に勘弁してほしい。
しかも主人不在で吐きながら、顔真っ青になりながら…。
子どもはママーママー遊んで~と、こっちの体調なんて知りませんから。
吐きながら子どもを連れて1人で車運転して20分の救急病院に駆け込むのか…。
それとも吐きながらなんとか1日を寝ずに自宅で過ごすのか。
当時、食べ物にとにかく敏感になっていたので、
怪しき物は食べない方がいい。
と言うことで刺身などは全て排除した生活をしていました。
1年経った今でも刺身は軽く熱湯にくぐらせて食べています。
8月19日、8月20日
8月19日は昼も夜も食べれたのですが、
子どもの相手をしていたら食日記が書けないまま1日が終わりました。
その深夜になんと実家の向かいが全焼する火事!!!
母親が気づき、まず実家の隣にある私の姉の家の家族を叩き起こし放水。
消火応援。
私の車にも燃え移りそうだったので、私も車の移動を頼まれる。
ただでさえ体調不良の時に大火事で火の子が降りかかる車を移動させるなんて。
精神的に大ダメージ。
2歳の息子を抱き抱えて、消防車のサイレンの音が鳴り響く前に私の自宅へ子供たちを非難させました。
両親と義理の兄は必死に火が燃え移らないように消火活動。
心臓がバクバク。眠れるワケありません。
食日記どころじゃなくなってたんです。
その後消防車が10台以上来てくれて朝5時に鎮火。
なんとも言えない気分の悪さがしばらく消えないのでした。
まとめ
話がだいぶそれましたが、
食日記2でもたんぱく質を意識できていませんでしたね。
そして糖質中心の食生活。
これではATP回路を回せないわけです。
さて次回はようやくうつ消しごはん登場です。
さ、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。