機能性ディスペプシアのための食日記3(たんぱく質摂取スタート)
シリーズでお届けしている機能性ディスペプシア食日記。
今回で3回目になりました。
食日記1と2は正直糖質食のオンパレードでしたね。
しかし今回は一念発起!
たんぱく質摂取と念頭に置いた食日記がスタートしています。
是非最後までお読みください。
目覚めと同時に回転性のめまい
糖質過多の生活を送っていたからか、数日前の火事のダメージか。
酷いめまい&ふわふわ感。
母に病院に付いてきてもらい点滴。そして2時間寝ました。
この日も肝心な朝食でバナナしか食べていません。
この時はまだ遅延型アレルギーで卵が引っかかっていたことを気にして卵を排除した生活を送っていました。
この時から卵を気にせず食べていればもう少し回復も早かったかなと今になって思います。
昼はささみ、夜は鯛などたんぱく質を一応摂っているものの量としては足りていない状態。
そのくせ白いご飯はちゃっかり食べている辺りが糖質生活から抜け出せない状態の証です。
ですが、翌日からたんぱく質を意識した食事にシフトしていきます♡
↓やればできる。
本格的なたんぱく質摂取スタート
- 鶏のささみ
- 牛ももステーキ(手のひら分)
- 鶏レバー2個
- げたの煮つけ
- 鶏レバー4個
↑これだけのたんぱく質を意識して摂り始めました。
そしておやつに鶏レバー(笑)
おやつにレバー食べるなんて私初めてでした、
それにソイプロテインもスタートしました。
この時はカゼインが遅延型アレルギーで反応していたこともあり、
ソイの効きが良くないのはわかっていたのですが、
摂らないよりはマシと言う意味で飲んでいました。
毎日ステーキ
1日の内1食どこかでステーキを手のひら分食べていました。
ローストビーフもこの頃からメニューにあがっています。
たんぱく質摂取と同時に便秘になる日もこの頃増えていました。
そして長年の糖質過多生活からか、食日記に書くほどこの頃毎日イライラがひどかったです。
自分の子どもだけでなく、姪っ子にも大きな声を出されると
「静かにして~」と怖い顔で言っていたと思います。
8月26日からナイアシンアミドを飲み始めています。
食事からのたんぱく質だけでは病気は治らない
意識してたんぱく質を摂る生活をしても食事だけでは病気を治せるほどの回復に至らない事に気づきます。
ですが、長年のたんぱく質不足と妊娠出産を経験した私の身体には、
この食日記に書いた量のたんぱく質が摂れる最大量なんだろうと把握していました。
これ以上食べようとすると猛烈な吐き気に襲われていたからです。
糖質制限を成功させる秘訣は徐々にたんぱく質を増やしていくこと。
まさに日々の積み重ねです。
生理前のだるさイライラ不快度マックス
この時期は実家で母が3食作ってくれていました。
子どもが保育園に行った後は基本的に1人の時間でした。
そして保育園から帰宅してもワンオペではなく、おじいちゃんおばあちゃん、
姪っ子1号2号がいる環境で私は助かりました。
いきなりくるだるさ、吐き気、直ぐにでも横になりたい感じの時は
子どもを別室で姪っ子たちと遊ばせることも出来ました。
機能性ディスペプシアや鬱のママでワンオペのママはかなりつらいだろうと思います。
特に生理前にはイヤイヤ期の子どものすること成すことすべてが怒りに繋がってしまうのですから大変です。
今は穏やかになりましたよ。
でもこの頃は子どもに悪い影響しかなかったと思います。
コツコツたんぱく質摂取生活を続けて8月最終日になりました。
たんぱく質摂取1週間で体調の変化は無し
1週間たんぱく質を意識して摂った所で体調にいい変化は何も起こらなかったと言うことがわかりました。
しかし、7月20日に入院。点滴だけで生き延びていた私が8月から自宅療養を初めて1ヶ月。
点滴だけしかできずに廃人だった私が、
ステーキ、ローストビーフ、鶏レバーを食べれるまでに回復するものなのですね。
まとめ
ささやかな一歩を踏み出せたような、
希望が伺える食日記3になりました。
消化機能は相変わらず落ち続けていました。
朝起きた時から「今日は食べれないな」とか、
食後に胃痛に襲われることも。
誰かのブログで処方薬より市販薬が効いた!なんて記事を読むと
ドラッグストアで薬を慌てて買い求めるなんてこともしました。
食事で治すと決めたのに。
薬に頼る。
そして失敗する。あらまぁ…。
次回食日記4では、コツコツ摂ったたんぱく質が台無しに?
知らなかった生理とたんぱく質消耗との関係もお届けできればと思います。
そしてプロテインバーデビューの話もしていこうかなと思っております。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。